我がクリニックは6月末日をもって閉院いたします。
長らくのご愛顧、ありがとうございました。
いや、エイプリルフールです。。。。。
1964年4月1日・・・院長が0歳の時に、我が両親が脱サラして、千葉県市川市に書籍販売店(本屋さん)を開業しました。
3歳くらいの時には、本を買いに来たお客さんに向かって、「これは淳ちゃんのだから持って行っちゃ駄目!!」と叫んでいたのを覚えています。
5歳の時に、父親が自転車で配達中の交通事故で、母親が店番していた時に、急ぎの注文が入ったので、私が電車に乗ってお茶の水の仕入れ先(日販)まで一人で行きました。
小学校の時はほぼ毎日、店番やら配達を手伝っていました。
ときどき、どてらを着たさだまさしさん(当時市川市在住)がブラッと来て、本を買って行ってくださいました。
院長が25歳で医師になるまで市川で開業してました。
2001年4月1日・・・院長が埼玉県民になって1週間目です。福岡県から移住してきて、最初はさいたま市北区に借家を借りて住んでました。2001年は4月1日は日曜日だったので、埼玉医大総合医療センターの勤務は2日月曜日でした。
初日、救命救急センターの休憩室では、MLBでマリナーズのイチローが、初出場、初ヒットを打ったシーンが流れていたのを覚えています。
あの救命救急センターに8年間在籍しました。
人生って後から思い出すと、あっという間に過ぎ去っているモノですね。
波乱の人生を歩んだ、秀吉が無くなる前に、「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」と詠んだのも、この歳になると心から共感できます。
もはや院長の人生では、川越市民をしている年月が一番長くなりました。
川越市民である限り、川越市に貢献したいなぁと考えています。
毎年、桜の花を見ると、年月が過ぎゆく速さに驚くとともに、また1年頑張ろう!と思います。

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